前置き
よい子のみんなは今どこにいるかな?
え?外?恋人と!?
いけないねえ。
クリスマスは家で過ごすものなんだよ。
外出するのは教会に行くくらいなものだ。
さあさあ、その繋いだ手を解いて、お家に帰ろう。
なに?レストランの予約が?
しょうがないねえ。
じゃあ私がそこのお嬢さんと一緒にお食事するから、君は帰りなさい。
さあお嬢さん、行きましょう。
<大 勝 利>
こんばんは。うつ坊である。
聖夜に大勝利してしまった。申し訳ない。
今日はクリスマス・イブだ。
みなさんはどう過ごしているだろうか。
日本では所帯持ちでなければ恋人と過ごすのが理想とされている(おかしくない?)。
しかしこれは特殊な文化だ(おかしいよね?)。
アメリカやイギリスでは家族と過ごすのが一般的らしい(おかしいぞ!)。
ではなぜ日本にそのような悪習、失礼、慣習が芽生えたのだろうか。
私の解釈を話してみよう。
諸悪の根源を白日の下に晒してやるぜェ!
……結構暴論なのでツッコミは勘弁して欲しい。
触れ合い
みなさんは日頃誰かと触れ合っているだろうか。
人が触れ合うと、脳からオキシトシンというものが分泌される。
いわゆる幸せホルモンというやつだ。
ストレスを消し、幸せを感じさせてくれるらしい。
素晴らしいね。
幼い頃、我々は家族と多分に触れ合う。
オキシトシンが分泌されているわけだ。
ところが思春期を迎えると、家族との触れ合いは絶えてしまう。
これは主に男子に顕著だ。
これではオキシトシンが分泌されない。
でも問題ない。
思春期を迎えると自然と恋人を作るようになる。
そして恋人と触れ合う。
こうしていつかは家族を持ち、触れ合いを続けることでオキシトシンは一生絶えることなく分泌される。
触れ合う相手は家族から恋人に変わり、そして家族へと帰るわけだ。
さて、これは日本の話である。
海外ではどうだろうか。
例えば欧米では、思春期を迎えても触れ合いが絶えることはない。
挨拶としてハグをしたりする習慣があるからだ。
これは思春期を迎えても、あるいは終えてもそうだろう。
そのため家族との触れ合いも保たれる。
だからクリスマスという時を家族と過ごし、それで幸せを感じられるわけだ。
ところが日本は違う。
思春期以降家族との触れ合いは減る。
おまけにキリスト教国ではない日本は、単に幸せを感じたいイベントとしてクリスマスを捉えている。
それでは所帯を持たない成熟した日本人は、クリスマスをどう過ごしたいと思うだろうか。
触れ合う相手である、恋人と共にいたいと考えるわけである。
ところが全員が全員そうなるわけではない。
当然クリスマスを恋人と過ごせない人間もいる。
それどころか、思春期を迎えても恋人を作れない人間もいるわけだ。
それではオキシトシンが分泌されず、幸せを感じられない。
そんな人間が家族と触れ合わず、恋人とも触れ合えないで、オキシトシンに見放されたまま大きくなる。
どうなるか。
私が出来上がるわけである。
純朴純朴とか言って恋人もできず、うつ病になり、クリスマス・イブの夜にこんな胡散臭い記事を書く人間の完成だ。
日本罪深過ぎない?
終わりに
以上である。
そんな目をしないで欲しい。
聡い読者のみなさんなら様々な間違いを見て取るだろう。
でも大目に見てくれると嬉しい。
なにせ今日はクリスマス・イブだ。
私はみなさんに、寛大な態度というクリスマスプレゼントをお願いしよう。
散々いろいろ書いたが、結局のところそんなことはなんでもない。
幸せに過ごしたいなら過ごせばいいし、興味ないならそれでいい。
恋人といようが、家族といようが、1人でいようが自由である。
だがもし幸せに過ごしたいのに過ごせない人がいるなら、心配ない。
このうつ病純朴大学生が布団の中から応援しているぞ。
一緒に幸せを願おう。
それでは今日はこの辺で。
いい夜を。
メリークリスマス!