前置き
こんばんは。うつ坊である。
ただいま出先から帰って参った。
こんな日でも執筆は欠かさない。
毎日更新を絶やすわけにはいかないからだ。
ブロガーの鑑と呼んで欲しい。
とは言ってもあまり時間がない。
情報をまとめる暇はないので今日は思うところを書いていこうと思う。
話題は「尊い」という感情だ。
「尊い」とは
昨今「尊い」という言葉がよく使われる。
ネットをよく使う人なら目にしたことがあるだろう。
Twitterの漫画なんかのコメント欄にもよく書かれている。
では「尊い」とはなんだろうか。
まずは辞書の記述を見てみよう。
① 地位・身分などがきわめて高い。高貴だ。とうとい。 「 - ・い身分の人」
② 非常に価値がある。貴重だ。とうとい。 「人を救おうとするその気持ちが-・い」 「芸術の士は…人の心を豊かにするが故に-・い/草枕 漱石」
weblio辞書『三省堂 大辞林』より
こうなっている。
昨今の使用法は②に近いだろう。
しかしこれではまだそぐわない感じがする。
ここでニコニコ大百科の記述を見てみよう。
尊いとは、言葉を失うほどの何かを見た時に出る言葉・感想である。
ニコニコ大百科『尊い』より
……なるほど?
分かったような分からないようなである。
ではここからは私なりの解釈を述べてみよう。
ってあああ!!!
今日のプロフェッショナル神谷浩史ってまじかよ!!!
もうブログ書くのやめていいっすか!!!
えっすごくないプロフェッショナルって!!!
いや躍進しすぎい!!!
……落ち着こう。
ちゃんと記事書くよ。
書く書く。
先ほど書いたように尊いという感情は辞書に書かれている使い方をされていない。
ということはそもそも皆が明確にその意味を共有しているわけではない。
つまり皆の中にある種の文脈で発生する言葉にできない感情があったわけだ。
それを誰かが「尊い」と呼んだ。
その呼称が皆に受け入れられたのだ。
では私はどうかというとなんとなくだが分かる。
尊いという言葉は関係性に使われることが多いように思う。
それも恋愛に近い関係だ。
目にしたことがある人ならご理解いただけるだろう。
私は「尊い」を「隔絶」だと考える。
そういった恋愛の絵を見た時、人は自分がその体験をしたいと感じる。
しかしそれは出来ない。
なぜなら自分とそのキャラクターとは他者であるからだ。
「その体験をしたい」という感情がもし2人分の体験であるならなおさらだ。
自分は1人であり、2人にはなれない。
またそのキャラクターに思い入れのある人はそうした自己投影さえ律するだろう。
傍観者に徹するわけだ。
そういったなりたいけれどなれないもどかしい隔絶が「尊い」なのではないだろうか。
終わりに
いかがだっただろうか。
神谷浩史のプロフェッショナルという予想外の出来事のせいでだいぶ遅くなった。
再放送しろ……しろ……(念じる)。
今回の記事は完全に私的解釈なので異論は多々あるだろう。
恋愛を追体験したいとか純朴患者特有の考えかもしれない。
しかしその言葉にできない感情は往々にして湧き起こる。
これは確かなことだ。
それに誰かが付けた名前が人々に浸透していったってすごいことじゃない?
ここまで浸透するからには、尊いという言葉のニュアンスにその感情が大部分当てはまっていたのではないだろうか。
もしかしたら平安時代とかの人も恋愛物を読んで尊いを連呼していたかもしれない。
そう考えると楽しいね。
それでは今日はこの辺で。
そんなことよりプロフェッショナル最初から見たかったあああ!!!
神谷浩史いいいいいいああああああ!!!!!!
……これが言葉にできない感情?