Amazonにフラれる
この度私はAmazonアソシエイトに申請した。
Amazonアソシエイトとは、ブログ内でAmazonの商品を紹介し、それを読者が購入すると紹介料がもらえるシステムである。
私はお金が欲しいのでぜひ取り入れようと思っていた。
だが急いてはいけない。
私は下調べにこの記事を読んだ。
詳しく分かりやすく書かれており大変参考になった。
興味があればご一読いただきたい。
さて、どうやら受かるには最低1000文字6記事必要らしい。
私は余裕を持って1000文字以上で2000文字あるものも含め7記事書いて申請した。
お返事がこちらである。
このたび当プログラムへの参加を申請いただいたWebサイトを拝見いたしましたが、現段階ではコンテンツが少ないため、必要な審査を行うことができませんでした。
当プログラムでは、参加の可否の判断に際して、お申込みいただいたサイトの内容も検討させていただいております。
このため、サイトについては作成されたものをすぐに申請されるのではなく、十分な期間運用いただく等コンテンツを拡充の上で申請いただきますようお願いいたします。
なっ……!
待ってくれ、コンテンツってなんなんだ、記事だけじゃ足りないのか、そもそもすぐにっていつまでなんだ、1週間ぐらいじゃ駄目なのか……。
なんだか好きな子と両思いらしいと聞き意気揚々と告白したら断られたみたいな感じである(そんな経験はない)。
というわけでもう少し記事を書いて勉強してから再申請しようと思う。
幸いAmazonアソシエイトちゃんは真っ直ぐ見つめられると断れない女の子だ。
……こんなこと書いているとまた断られそうなので本題に移ろう。
悪化
長すぎる。
一体いつまでこのシリーズを続ける気なんだ。
恒例のしょうもない前置きを削ればもう終わってたんじゃないかと言われそうだ。
明日ぐらいには完結すると思うのでもう少し見守っていて欲しい。
うつ状態になった私だが、精神科、心療内科にかかるのはまだ先である。
それまでは痰の詰まりや喉の違和感を感じて、耳鼻科や内科に診てもらっていた。
耳鼻科には2回行ったのだが、2回目は露骨に迷惑そうな顔をされた。
何せ異常が見つからないのである。
それらは心因性のものだったのだ。
さて、なんとか1学期を終え夏休みを迎えた。
1学期は精神状態が悪化してから勉強が手につかなくなっていた。
また、夏期講習はあまり取らなかった。
やり過ぎても逆効果という話を聞いたのもあった。
だが主な理由は、知り合いに会う可能性を減らしたかったからである。
夏期講習は塾外の生徒も受け入れているので後輩たちが来る可能性もある。
彼らと鉢合わせるのは怖かった。
結果として心配は杞憂に終わり、知り合いには会わずに済んだ。
だが夏休みも勉強は全くはかどらなかった。
もう心に余裕がなかった。
そして迎えた9月、私は塾に行けなくなってしまった。
教室での孤独感、後輩に会うことへの恐怖、知り合いに見つかるのではないかといつも気にしながら歩く虚しさ、そういったことを考えるともう駄目だった。
電車で塾の最寄駅を乗り過ごして熱海まで行ったこともあった。
でも親には言いたくなくて、引き返して、公園で夜まで時間を潰したこともあった。
昼になると母の作ってくれた弁当を食べた。
ろくに喉を通らなかった。
そういったことをするのも限界がきた。
ある日私は布団を出ることすらできなくなってしまった。
様子を見に来た親に私は、行かない、と言った。
親に理由を聞かれたがなんと答えたかは覚えていない。
そうした日が何日も続いた。
親も最初は行ってみたらと言っていたが、だんだんと強いなくなっていった。
それほど私の様子はおかしかったのだろう。
そこでようやく私は精神科にかかることになった。
事情を話すのは苦痛だったがなんとかやり遂げた。
薬を処方され、隔週で通うことになった。
塾は休んだままだった。
センター試験の願書はなんとか出した。
調査書も早めに母校に依頼した。
電話に担任が出て事情を聞かれるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。
経過
私にはこういったことを話している友人が1人だけいた。
この友人はコナーと呼ぼう。
コナーには浪人1年目から相談をしていた。
あるとき、塾の帰りに偶然鉢合わせ、昼食を共にした。
それ以来、塾に行けなくなった後も毎週昼食を一緒に食べるようになった。
コナーは元担任と交流が続いていて、私のことも聞かれていたらしい。
私の状況を話したら伝言を頼まれたと言っていた。
どうやら元担任は、学校に状況を言いたくない心情も察してくれているようだった。
伝言は、塾からの通知で私の浪人を知った、私のことを応援しているから困りごとがあれば連絡して欲しいという内容だった。
不義理にもかかわらず理解を示してくれる担任に私は心から感謝した。
罪悪感が少し薄らいで、肩の荷が一つ下りたような気がした。
だが、それで私の精神が劇的に回復することはなかった。
家でも勉強できず、寝ていることが多かった。
食べることが辛かった。
私のような人間に食べられる生き物がかわいそうだった。
食事のとき泣きそうになることもあった。
11月には父の実家に療養に行った。
祖母が認知症なので、その介護もかねてである。
田舎にいると若干心が落ち着いた。
そんなことをしながら過ごしていた。
勉強できないにもかかわらず受験は近づいてきていた。
受かればきっと回復するだろうという気はした。
けれど受かる気はあまりしなかった。
結局何も変わらないまま受験を迎えることとなった。
本番の日も私はろくに行く気がしなかった。
知り合いに会いたくないという思いもあった。
気楽に受けてこいと言う親に送り出され、私は重い足取りで会場に向かった。
今日はここまでにしよう。
これなら明日終わるはずだ。
それでは。