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【仮面浪人】東大に4回落ちた僕の学歴コンプレックス【多浪】

 

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前置き

最近こんな論文を読みました。

irdb.nii.ac.jp

自分と共通する事例が客観的に語られており、痛みを感じると共に少し気持ちが和らいだ気がしました。

近い境遇の人間がいると認識するのはどこか救われるところがあります。

というわけで、それなら僕の経験も誰かを楽にするかもと思い立ち、記事を書くことにしました。

同じ悩みを抱えた方に届いたら嬉しいです。

経歴

僕は現役を含めて4回東大に落ちました。

1回目は高校時代です。その時は浪人をせず他大学に入りました。

大学1年の9月頃、仮面浪人を決意し挑戦したのが2回目です。

その後休学して再受験することを選択したものの間もなくしてうつ病になります。3回目の不合格です。

それから1年の間心身を休めた後、結局その時の大学が肌に合わないと感じていたこともあって4回目の挑戦をしましたが、ここでも失敗に終わりまた別の大学に入学しました。

 

そこは以前の大学より相性がよく、2年の終わりごろまではそこそこ順調にやれていました。

しかし3年生になってコロナ禍が縮小を見せ、オンライン授業から対面への切り替えが本格的に始まると急激に調子が悪くなります。

 

キャンパスという場所が、努力が実らなかった自らの愚かさ、そして楽しそうな周囲に馴染めない自分の卑屈さを突き付けてくるように感じてしまうのです。

以前は問題のなかったオンライン授業も苦痛になりはじめ、最終的に実家に帰って休むことになりました。

 

現在は落ち着いた生活を送れていますが、大学や学歴のことを考えると辛いです。

そしてその辛さの根底には、東大に対する病的な怯えがあります。

怯え

いつ頃から始まったのか覚えていませんが、東大に関するものがとても怖くなりました。

東大出身の有名人や東大の教授はメディアの露出も多いので気を付けないといけません。

チコちゃんは面白いですが、専門家が紹介される場面はひやりとします。

 

怖いのは人物だけではありません。

昨今世間では「東大」という言葉が知の代名詞のように使われています。

書店には『東大で一番売れた本』『東大に入る子を育てる』といった謳い文句が並び、テレビをつければ東大を冠するクイズ番組が人気を博しています。

ノートを買ったら東大入学者の2/3が使っていたというアオリが帯を飾っていたこともありました。

 

こんなことを気にするのは馬鹿げていると頭では理解しています。

ただ、自分の意識ではどうしようもないほどに認知が歪んでいるのです。

今の考え

できることなら今でも東大に入りたいと思っています。

それは学びたいことがあるからとか、東大に入れば人生大逆転できると考えているからではありません。

正直もう学問も就職もどうでもいいんです。

僕はただ楽になりたいのです。

日常の小さな怯えから解放されたい。

生きることがなんでもなかった昔に戻りたいだけなのです。

そしてそれはどうやら、僕にとってはとても難しいことのようなのです。

 

何が足りなかったんだろうとしょっちゅう考えます。

その度に、「計画して実行する力がなかった」という結論に行き着きます。

そしてそこへ辿り着くと焦るわけです。

それなら僕は何も成し遂げられない人間なのではないか。

これから先何かを深く学ぶということができないのではないか。

 

だから証明したいのです。

試験に合格して、自分はやりたいことを成せる人間だと示したい。

それができないなら何か大きな成功を収めなければと思うこともあります。

先ほどの論文にもありましたが、とにかく自分の価値を回復したいのです。

 

この先の人生何年あるかはわかりません。

これからずっとこの強迫観念に囚われたままなのか。

「昔からいい成績で東大模試もA判定だったんだ」なんてこぼすくだらない人間になってしまうのではないか。

日々恐れながら生きています。

ここへ来てはいけない

最後に、同じ悩みを持つ方へ。

受験に失敗したことは決してあなたの価値を貶めるものではありません。

例え何回つまずいたとしてもそのことに変わりはないです。

その結果精神を病んでしまっても、当然悪いことではありません。

何度も聞いたかもしれませんが、本当に大事なことです。

誤った妄執は捨てられる内に捨てておかねばなりません。

 

僕が愚かだったのは、そうした思考に取りつかれ神経が衰弱するまで自分を追い込んだことです。

後戻りのできないところに来てしまいました。

だからみなさんはここへ来てはいけません。

 

納得が行くまで挑戦するのも悪くないと思います。

ただ取りつかれてはいけません。

受験は通過点であり、手段に過ぎないのです。

人間の価値を証明する場ではありません。

 

それではこの辺で終わりたいと思います。

みなさんが新しい目的を持って充実した人生を送れるよう願っています。