けいゆうのブログ

MENSA会員・TOEIC985・競馬AI回収率150%

私がうつになるまで 3

 

スポンサーリンク

 

 

僕に彼女ができたなら

こんばんは。うつ坊である。

彼女ができたら映画館のカップルシートに座るのが夢である。

はい。

 

……早速本題に入ろう。

 

大罪を犯す

重い話が続いてしまい申し訳ない。

これが終わったら軽くやっていくつもりなのでもう少しお付き合いいただきたい。

 

さて、再受験を決めた私だったが、結論から言うと失敗した。

理由は3つ挙げられる。

 

1つは準備期間の短さだ。

決意したのが9月中旬のことだったので、本番まで半年となかった。

 

もう1つは宅浪だったことである。

宅浪は勉強する仲間も適した環境もない。

添削などをしてくれる先生もいないため、誤った方向に進みがちだ。

 

だがこれら2つは大した理由ではない。

最後の理由こそが主要因である。

つまり、結局私は怠惰だったのだ。

 

勉強しなかったのである。

既に1年やったのだから大丈夫だろうという慢心もあった。

万一でも帰る場所があるという安心感もあった。

 

だが終わってみればそれらは虚妄に過ぎなかった。

1年やったと言ってもそのときも大した努力をしていない。

帰る場所があると言ってもそこには友人も仲間もほとんどいない。

大学の勉強をおろそかにしていたから2年次に単位を取り返さなくてはならない。

 

そう考えたら、もう私の頭から大学に戻ると言う選択肢は消えた。

もう1年やるしかないという考えに取り憑かれた。

それで成功すれば、全てが解決すると思った。

 

2年目は宅浪で失敗した経験を踏まえて入塾することに決めた。

そして、本格的におかしくなりだしたのは、この2年目からだった。

 

説明会を担当していたチューターは優しい人だった。

会の中でいくつか英語の質問に答えたら、優秀な印象を持たれたようだった。

事情を話すと、1年しっかりとカリキュラムをこなせば必ず受かると言われた。

私はその塾に入ることにした。

 

決して安くない入塾金を出してくれた親には頭が上がらない。

そのことを考えると今でも胸が詰まる。

 

f:id:b0tchan:20181124224210j:plain

 

さて、4月の私は意欲にあふれていた。

今年こそは、という思いもあった。

だがその気持ちも、次第に崩れていくこととなる。

 

5月のことだった。

ホームルームか何かで、学校名と高三の時の担任名を書かされることになった。

その時私は筆に迷った。

 

実は私は高三の担任に浪人のことを知らせていなかった。

現役時、担任は皆に合格発表後、報告に来るように言っていた。

けれど私は行かなかった。

不合格の生徒に興味などないだろうというのが建前だった。

だが本音は、怠惰を咎められたくなかった、というものだった。

 

冷静に考えて、受験に落ちた生徒に対し教師がそんなことをするわけがない。

だが私はそう思いながらも、学校に足を向けることができなかったのだ。

 

そして浪人1年目の秋、私は担任に一切の連絡なく調査書発行を学校に依頼していた。

そのときに担任名が必要だからと言われて困惑した。

担任に知らされるのだろうか、と思った。

 

筆に迷ったのは、そのことを思い出したからだった。

自分からはなんの連絡も入れずに調査書を依頼し、浪人先の塾から連絡をさせる。

そしてその秋には、また調査書をお願いしなければならない。

果たして担任はどう思うだろう。

 

この思考は私の中で渦を巻き、後の精神悪化に大きく影響することとなる。

この続きはまた明日にしよう。

 

そういえば母の捻挫は一応大丈夫そうで、ぎこちなくも歩けるようにはなった。

医者に見せたところ、全治3週間だと言う。

その間は母の仕事を家族で肩代わりすることになる。

全く異存はない。

 

怪我病気に安静が必要だというのを、私は身にしみて承知しているからだ。

それでは今日はこの辺で。

またね、である。