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【うつ病?】やることはあるけど暇な理由

 

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前置き

こんばんは。うつ坊である。

暇だ。

いや暇じゃない。

 

やることはあるのだ。

まずブログを書かないといけない。

あとは木曜の朝が納期のバイトがある。

 

だから暇ではないはずなのだ。

それにもかかわらず暇である。

 

これは一見矛盾に見える。

だがこう訴える人は少なくない。

 

なぜなのか。

今日はそれを考えてみよう。

暇でなく暇

そもそも暇というのは何か。

時間が余っていることだ。

 

時間が余っているならやることはない。

つまりやることはあるけど暇な状態など存在しないはずだ。

ところが現に私はその状態である。

 

これでは堂々巡りだ。

少し暇の定義を緩くして考えてみよう。

 

暇を「時間が余っていると感じること」としてみる。

するとやることはあるけど暇というのは次のようになる。

 

「やることはあるけど時間が余っていると感じる」

 

これならば一応成立する。

現実と認識が食い違っているわけだ。

なぜその齟齬が起こるのだろうか。

 

時間が余っていると感じるということはどういうことだろう。

やることがないと感じるということではないだろうか。

つまり「やることはあるけどやることがないと感じる」になる。

 

こう思う人はやることを忘れてしまっているのだろうか。

そんなことはない。

もしそうなら「やることはあるけど」とは言わないはずだ。

 

ではこう考える人はどうしてしまったのだろう。

おそらく現実と認識との間に何かが存在しているのだ。

それが一見矛盾する両者をつなげている。

 

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これは外的あるいは内的のどちらだろうか。

外的であれば現実寄り、内的であれば認識寄りとなる。

 

間に立つものである以上これは中道だろう。

「現実に対する認識」ではないだろうか。

 

現実と認識の中間にあるものはなんだろう。

これは他ならぬ人間その人である。

 

するとここでの「現実に対する認識」はその人に関する現実であり認識である。

「ある」を「ない」にする現実、認識とは何か。

ここまで来ると限られてくる。

 

一つは「可能性」だろう。

やることはあるけどできないのでやることがないと感じるわけだ。

 

ここで新たな疑問が生じる。

なぜその人はやることをできないのだろうか。

 

まずは能力の問題が考えられる。

やる能力がないのでできないわけだ。

 

しかしこれは考えにくい。

まず能力がないのならそれがやることとして数えられることは少ないからだ。

 

次は環境の問題だ。

やることをやれる環境にない、ということである。

 

これは大いにあり得る。

例えば仕事を持ち帰れず家のパソコンではできないといったことなどだ。

 

だがこれも有力ではない。

それならもう悩まなくていい。

しょうがないのだ。

そう訴えるということはその人がどこかで悩んでいるからだろう。

 

可能性の他には何があるか。

それは「意志」だ。

 

やることはあるけどやりたくないからやることがないと感じる。

これなら成り立つのではないか。

私は「やることはあるけど暇」の大多数がこれだと思う。

 

では可能性の問題は本当に捨て切ってしまっていいのだろうか。

そうは思えない。

 

先ほど能力の問題を切り捨てたが、それは恒常的能力の場合である。

一時的能力の欠如という面から見るとまた違ってくる。

 

やることを受けた時点ではやれたが現在はやれない。

そうした能力の波があるということだ。

この波は何が引き起こすのか。

 

私の場合、それは精神疾患だろう。

うつ病である。

能力の元となるエネルギーが枯渇しがちなのだ。

これがさらに意志の問題と合わさっているに違いない。

終わりに

長々とやった割に結論は単純である。

要はやりたくないからかエネルギーがないからだ。

こんなに積み重ねなくても分かるものだ。

 

しかしたまにはこうして物事を分解して考えてみるのもいいだろう。

 

私が「やることはあるけど暇になった」のはバイトを受けてからだ。

どうも今の私はやることが二つ以上になるとパンクしてしまうようである。

 

うつ病の人がやることを決めるときは慎重になろう。

その時はできると思っても後からできなくなることがあるからね。

無理しちゃ駄目だぞ。

 

それでは今日はこの辺で。

アドセンスに受かればエネルギーも補充されるんだけどなあ……(チラッ)。